車・スマ−トロ−ドスタ−・スマ−ト・横須賀

H2009.1.7:東京湾を眺める

スマローの後方に見えているのは、観音崎の電波灯台です。現在は光の灯台でなく電波灯台になっています。

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H2009.1.7:1853年『泰平のねむりをさます 上喜撰 たった四はいで、夜も眠られず』

後方に君津の製鉄所の煙突が遠望できるここ観音埼は、1853年(嘉永6年6月3日)一回目の黒船来航の時、
4隻の黒船のうち一隻が千葉県富津とこの観音埼との間に停泊したと言われている。 

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H2009.1.7:浦賀で、米大統領国書受け取る

ここは嘉永6年(1853)6月9日、アメリカ東インド艦隊司令長官・ペリーがアメリカ大統領の国書を
江戸幕府に手渡した場所にあたります。 東インド艦隊司令長官ペリーが率いる船団は、蒸気船サスケハナ号、
ミッシシッピー号、帆船プリマス号、サラトガ号の黒船艦隊4隻で、大西洋・インド洋航路で浦賀沖へ来航し
た。翌年の再来日を伝えた。

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H2009.1.7:ペルリが来た浜

ここは嘉永6年(1853)6月9日、アメリカ東インド艦隊司令長官・ペリーがアメリカ大統領の国書を
江戸幕府に手渡した場所、現在の久里浜の海岸です。 正面奥に見える低い山並みは房総半島の千葉です。

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H2009.1.7:日米和親条約(神奈川条約)

マシュー・カルブレース・ペリー提督は嘉永7(1854)年1月に再び浦賀に来航した。
1月14日に輸送艦「サザンプトン」(帆船)が現れ、1月16日までに旗艦「サスケハナ」、「ミシシッピー」、
「ポーハタン」(USS Powhatan 以上、蒸気外輪フリゲート)、「マセドニアン」、「ヴァンダリア」、
「レキシントン」(以上、帆船)の巡洋艦六隻が到着した。なお、江戸湾到着後に旗艦は「ポーハタン」に
移った。2月6日に「サラトガ」、2月21日に「サプライ」(両帆船)が到着して計九隻の大艦隊が江戸湾に
集結した。 約1ヶ月にわたる協議の末、幕府は返答を出し、アメリカの開国要求を受け入れた。3月3日、
ペリーは約500名の兵員を以って武蔵国神奈川の横浜村(現神奈川県横浜市)に上陸し、全12箇条に及ぶ
日米和親条約(神奈川条約)が締結されて日米合意は正式なものとなり、徳川家光以来200年以上続いてきた、
いわゆる鎖国が解かれた。 写真の右手にある大きな木は、現在の神奈川県庁の右手にある木と言われています。



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H2009.1.7:追浜・横須賀航空隊

見わたす限りの平地で、現在は様々な工場が立ち並んでいます。日産・住友・等など。
正面に遠望できる台地上のものは今は陸とつながってしまった『野島』です。
手前左の木立は奥に追浜神社の碑があります。

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H2009.1.7:予科練

追浜神社の碑の近くにある、予科練の碑です。

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H2009.1.7:静かな横須賀港(横空に面した海)

昔は日本海軍の名だたる航空母艦や戦艦が停泊していたところです。今は、平和を守る海です。

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H2009.1.7:浦賀道

東の浦賀道は、東海道「保土ヶ谷宿」から金沢に出て、相模国三浦郡浦郷村へと入るもので、追浜の雷神
社前から良心寺前を通り、山越えで船越新田に出て青木坂をこえ、田浦町の赤坂から盛福寺前を通って海岸
へ向い、静円寺を右に見て向田の谷戸に入り、長善寺から太田坂をへて十三峠にかかる。その後、安針塚、
逸見、桜山、汐入、深田、公郷、大津を通って、矢ノ津坂から浦賀へ入った。

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H2009.1.20:観音崎砲台跡

観音崎には明治期の砲台跡があります。これはたたら浜にあるものです。


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H2009.1.28:軍港逸見門

(逸見上陸場)(軍港逸見門)は旧日本海軍の横須賀軍港逸見門にあった衛兵詰め所
建築年代:明治末〜大正初期

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H2009.2.15:とらやの羊羹・

 おやじとしてはメタボが気になるが、大好物の一つにとらやの羊羹がある。自宅からは
日本橋店 (直営店)が便がいい。羊羹は、日持ちがするので、まいにち少しずつ楽しみな
がら味わえる。
 

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H2009.2.25:初めての夜走行

 なかなか機会がなく、スマローを夜走らせることがなかった。今夜は、雨もすっかりあがり、
ヘッドライトを灯して走ってみる気になった。帰宅を急ぐ車の流れに乗って、スマロー免許皆伝
おやじの運転もスムーズだった。 今夜も、30分程のドライブであったが、楽しかった。。。


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H2009.3.11:ヨコスカ・ネービーバーガー

 横須賀は『海軍カレー』が有名です。平成21年の2月に新たに『ヨコスカ・ネービーバガー』が
ドブイタ近辺で売り出された。米海軍のレシピを基に作られたものです。当然、アメリカンサイ
ズで、うれしくなってしまう。


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H2009.3.11:スマロー後姿

 スマローはフロントマスクもさることながら、リヤビューも刺激的だ。
後続車はキャビンの低さに目を見張ると思うが、中は意外と広いのだ。


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H2009.3.26:退職

 38年間勤めた職場を退職する。充分働いたので心残りは無い。
むしろ、新たな挑戦に心が弾む。


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H2009.3.26:三崎漁港

 晴天のこの日、三崎漁港まで足を伸ばした。春の日差しは冷たい春風が心地よく
感じる程暖かった。スマローの後ろに城ヶ島大橋が遠望できる。


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H2009.3.31:鎌倉:段葛

 今日、鎌倉の八幡様に昨年の厄除けを返しに行った。スマローは車庫でお休みで、
横須賀線で鎌倉まで行った。段葛の桜は二分咲き程度で、見ごろは来週になると思
われる。段葛は,頼朝の夫人・北条政子が、二代将軍・源頼家を懐妊した時、安産を
祈って,養和2年(1182)3月,北条時政以下の御家人と共に,土石を運んで築いた。

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H2009.3.31:鎌倉:鶴岡八幡宮の舞殿

 鶴岡八幡宮の舞殿は、約820年前に静御前が離ればなれになった義経を慕いながら
「しずのおだまき」を舞った場所。


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H2009.4.4:12ヶ月点検

 早いもので、スマローとの関りが1年となり点検に出した。1年で1500km程乗った。
長距離は箱根までが最高で、殆どが近所のちょい乗りだった。しかし、運転の楽しさ
はどっちらも変わらず、スマローとヒトが『人馬一体』の感があった。


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H2009.4.18:港の見える丘公園

 横浜、港の見える丘公園に行った。このあたりは幕末の頃、フランス山と呼ばれ、
フランス軍、更にはイギリス軍も駐屯していた場所です。生麦事件で外国人に被害
が出たために、列強は軍の駐留を強行した。


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H2009.4.18:4回目の給油

 諸般の事情でスマローとのまとまった時間がなかなか取れなかった。従って、街乗りでチョコ
チョコ走っている感じだった。当然、5速に入ることはまれで、燃費が伸びるはずもない。計測
してみると案の定、16KM/L 程であった。でも、タイヤから伝わるフィーリング・キャビンのタイト感
・1,2,3速のクロスレシオ 等は、否が応でも、車を操っているという緊張が漲る。スマローは時間を
超越している。。。。。


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H2009.4.23:逗子小坪

 天気は快晴とはいかないが、オープンにはちょうどいい陽気だ。午後の2時間ほど
逗子・葉山をドライブした。小坪には10年ぶりに来たが、マンションの多さには驚い
た。交通の便が良いわけではないのに。。。。。外国のようだった。


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H2009.4.23:庭のラン

 花は誰のためにこんなに美しいのか。何でこんな形や色をしているのか。


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H2009.5.13:太陽と植物・ぼけ

 庭の世話をした。ぼけが伸びて、体に棘が刺さり痛い。隣のつつじが勢力を伸ばし、
ぼけが追いやられた結果だった。つつじを剪定し、ぼけをつつじに支えになってもらい、
まっすぐ天を向くようにした。裏返しになってしまった葉(赤丸)は、そのうちお日様に
向かうと思う。


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H2009.5.13:太陽と植物・牡丹

 牡丹は前のぼけと同じで、お日様に向けてあげた。


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H2009.5.13:リアホイール

 我がスマローは雨の日は乗らないことにしている。従って、洗車も最小限の水でする。
スポンジに大量の水を含ませて、撫でるように洗っている。だが、タイヤホールは別だ。
少しの汚れが妙に気になる。写真のようにリヤホイールはきれいに保てるが、フロント
ホイールはそうはゆかない。原因は不明だが、ちょっと心当たりはあるが。。。。。。

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H2009.5.15:抜群の安定性

 我がスマローに友人を乗せ高速を駆け横浜に向かった。スマローはインター合流部で、
60kmからの加速が5速からということもあって、『ビュー』という感じではなく『とろ
い』感じがした。だが、レーンチェンジの加速は700ccとは思えないほどスムーズで、
沈み込む車体に安定感を感じた。 さすが〜、と思った。。。。。


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H2009.5.17:太陽と植物その後

 4日前に、ぼけと牡丹を剪定して太陽に向かうように天に向けた。今朝、見に行くと
写真のようになっており、明らかに太陽に向かっていた。


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H2009.5.17:カトレア

 カトレアは球根で毎年5月ごろ咲き、楽しみにしている。


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H2009.5.21:金魚

 金魚が居なくなって寂しい思いをしていたが、今日、買ってきた。実は先週、1匹買って水槽に
放した所。物陰に隠れてめったにお目にかかれなかった。そこで今日、新たに5匹水槽に放した。
そしたら元気に仲間と泳ぎまわっていた。金魚でも一人は寂しかったようだ。。。


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H2009.5.21:蟷螂

 雨が降り続き、ようやく小降りになった庭のランの葉の上に、蟷螂の子供が居た。


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H2009.6.4:吉田橋(イセザキ町の関内より)

 横浜港開150周年。今、横浜は盛り上がっている。この吉田橋は1854年3月3日日米和親条約(神奈川条約)
が締結された後、出来た関門のひとつです。関門の中を『関内』と呼び、現在も使われています。


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H2009.6.12:神奈川奉行所

 横浜開港直後の安政6年(1859)6月4日に開設され、前年7月以来開港準備を担当してきた水野筑後守ら
5人の外国奉行全員が当初の神奈川奉行を兼任し、輪番で横浜黎明(れいめい)期の行政事務を処理して
いた。奉行所は、戸部役所と横浜運上所にあった。


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H2009.6.13:洗車

 からっと晴れた今日、ひっさし振りの洗車をした。ボディーは何とかコーティングとかで、水洗いだけで
良い言われているので、スポンジに水を浸して、撫でるように洗った。以前から、雨の日は乗らないので、
洗車も最小限の水量で行っている。


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H2009.6.19:野比海岸

 東京湾・野比海岸にて。時には大島の三原山も遠望できます。


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H2009.6.19:中居屋重兵衛
 安政6年(1859年)日米修好通商条約締結に伴い、横浜が開港された。中居屋は、安政6年(1859)4月の
初めに、神奈川貿易許可願を外国奉行所に提出。4月25日に許可が下り、5月22日までに完成させるように
とのお達しがあり、突貫工事にかかり25日に店開きの予定であったが、1ヶ月も要さずに完成させることは
無理だった。開港日は6月2日(陽暦7月1日)と決まっていたから、重兵衛は未完成のまま開店したのであ
ろう。場所は当時の横浜本町四丁目(現2丁目)、もっとも繁華な中心街であった。
 奉公人60余人を抱え、店の屋号を中居屋重兵衛と名乗ることにした。銅板葺きのひときわ目立つ建物は、
誰いうとなく「あかがね御殿」と呼ばれた。
 横浜がにぎわう直前のわずか二年間活躍して消えた、横浜の外国貿易の基礎を作った人物といえます。
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